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ありがとうございます;ㅅ;
励みになっておりますヽ(*´∀`)ノ


GWも折り返しですかね。
病院のテレビは高いのであまり観ないようにしてますが

今日は関東地方
5月で既に夏日だったんですってねΣ(゚ω゚ノ)ノ

暑いのは苦手です。


連休中は治療もお休みなんですが(基本カレンダー通り)
明日の5日は
放射線してもらえるようです。

なので
今回の3連休中は
外泊パスしました。

今日の明け方からまた蓄尿だしね。
これ、結構、いや、かなり面倒臭い(~_~;)


あ、明日は採血もするって言ってた・・・かな?

どんだけ血ぃ抜くんだろうね、この先も。


この間、外泊した時に
病気の事を上の2人には話したんだけど
その翌日に
無理だと言ってた次男が帰宅して

ずっと食べたかったあるお店のつけ麺を
親子4人で食べに行きました(´・∀・`)

いや。
美味かった美味かった。

なかなか家族4人揃う事がないから
このチャンスは逃しちゃ駄目だよ!

の、娘の提案で
親子4人でプリ撮りました(・∀・)ニヤニヤ

子供達が小さい頃1度だけ撮った以来

男連中が完全拒否だったので
半ば諦めてましたが

今回はすんなりOKでした。

ありゃ?
病気告白後の私に
気を使ったか( ̄ ̄ ̄∇ ̄ ̄ ̄; アリャ?

ともあれ
笑顔の親子プリが完成して
めちゃ幸せです。

早速トプ画にして
携帯見る度ニヤニヤしてます(´∀`*)


2泊はあっという間に過ぎちゃったけど

入院生活ったって
一生のうちの2ヶ月だ!

と、思ってあとひと月ちょい
乗り切ります。


深夜、寝れてない事が看護師さんにバレたらしく( 笑 )
今夜は安定剤(ブロチゾラム)とやらを処方されてしまいました( ・∇・)

素直に応じましょ。

(๑´︶`๑)☆.。.:*ぉゃすみぃ☆








多彩なトプ画生活空間

 幼い頃に学校生活を送るに当たって私なりに大変だったことと当時の気持ちを書いておきたいと思います。


・保育園 
地元の公立保育園に通っていました。
同い年の子から見ると私は異質な顔に見えたと思います。それは彼らにとっては初めて見るものですから、ジロジロ見るのは当然といえば当然ですよね、。私は自分の障害?を当時理解しておらずどうして見てくるんだろう?
みんな同士も見合っているのかなー?
なんて思っていた気がします。 
お絵かきとか外でかけっこをしたりとか、プールとか、はしゃぐのが大好きでした。
生活的に困ることは特になかったです。
また、変なことを言ってくる子もいなかったと思います。(あんまり覚えてない笑)

・小学校 低学年
他の保育園から来た子に「変な顔!」とか、「変な奴!」とか言われました。
は?って思ったけど、この頃にはそういったことに慣れて来てしまっていて、(通りすがる子たちに見られたり)「またか、、、」って感じでした。まだ、自分の障害?メビウスに関してはっきり理解していませんでしたが、なんとなく、「私はみんなと何かが違う」とだけ感じていました。鈍い子だったのかな?笑
そのため、はっきり言って、友達がいませんでした。
学校なんて行きたくなかったです。学校に行ったらクラスの男の子に苛められるし、、。(「キモい」言われる)彼らは集団。言い返す勇気なんてなかったです。何も喋らない、何か聞かれたら首を縦に振るか横に振るかで意思表示をする子でした。
 また、生活的に困ったのは音楽の授業のピアニカです。片手で口を押さえて吹かなければならなかったため、慣れるまで何度も練習しました。
 また、給食も難題でした。当時は口を押さえて食べるなんて考えがなくて私にとっては普通に食べていました、つまり、何も隠さないで食べてたわけです。
とにかく、静かで話さない、ある意味我慢強い子でした。

・小学校 高学年
 この頃くらいから、先生がいつも1人でいる私を助けようとして下さいました。
優しい子に声をかけ、私と話すよう言ってくれたのです。
こうして本当にありがたいことに少しずつ友達もできていきました。苛めっ子もいる反面、本当に優しくて良い子もいるんです。苛めっ子が目立つだけ。
無論、私の顔をバカにしてくる子、真似してくる子、等は存在しましたが、友達のパワーってすごいですね。
前程気にならなくなりました。小学6年生の頃は本当に学校が楽しかったです。

ただ、1つだけ。今だから分かります。私はみんなと同じようにしたかったのです。みんなにとって普通の友達になりたかった。先生にもみんなと対等に扱われたかった。給食を普通に食べてる姿をみて褒められたくなかった。当時は本当に無意識でしたが、確実に私は、このようなことを思っていました。なんというか、恥ずかしかったんです。「普通であること」にずっと無意識に憧れを抱いていましたから。

授業で困ったのはリコーダーです。まぁ、でも、ピアニカと比べるとくわえる範囲が少ないので楽でした、!

中学生
 この頃、自分の病名が「メビウス症候群」であることを始めて知りました。
 そして、自分について少しずつ考えるようになりました。給食を食べる時も手で隠しながら食べるようになるなど自分なりに賢く生きる術を身につけようとしていたのかな?
中学生になるとみんな思春期に差し掛かってきます。他人のことを気にするようになってくるわけです。

集団で私1人を虐めてくる!なんてことはなかったけれど、他の小学校から来た人にやっぱり言われましたね、「キモい」とか、、。なんか、でももう慣れてしまっていました。
そんな中でも私は「普通」でいようと必死でした。だから流行りのドラマも見たし、先生に怒られても制服を着崩してたし、、。
普通であることに安心してました。みんなのなかに染まれてるって、、。
まぁ、はっきり言って生きづらかったです。

授業で困ったのは、特になかったと思います。
あ、救急法訓練で人工呼吸の時は少し困りましたが、、。
でも、それぐらいです。

高校生
 中学生にも増し、「かわいいこと」「笑顔」が大切になってくる。
メイクをする子も徐々に出てくる。「見た目」の大切さが増してくる、、。
可愛くなりたいと思い始める、。
雑誌を読み始めて、悲しくなる。どの記事にも「笑顔・笑顔・笑顔」のオンパレード。
小学校・中学校の頃とは違って誰に何をいわれたわけではないのに、この頃になって、「どうして私はメビウスなんだ?」「どうして私なんだ?」「明日の朝になったら顔が動くようになっていないかな?」
「プリクラ撮りたいけど撮りたくない」
こんなことばかり毎日毎日毎日考えていました。
「可愛く笑えない私とは誰も仲良くしたくないのかな?」「みんなみたいに可愛い笑顔をトプ画にしたい」「堂々とプリクラ撮りたい」とかいろいろ考えて考えてなんかひたすら病んでました、、。
(なんかフラッシュバックしそうで怖い、、)

当時の私にとって教室は世界。
あの狭い空間が私たちの全てでした。

「みんな同じ」が良いとされ、「他人の目」を気にしながら生きなければならな世界では少しメビウスを持つ私にとってきつかったのではないか、、と感じます。

ですが、それ以上にきっと私が自分の中にバリアを張っていた部分も大きいと思います。

もし、過去の自分にアドバイスできるとしたら、「もっと肩の力を抜いていい、そのままでいい。」と伝えたいです!